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自死

「自殺(英語ではsuicide)」という言葉自体の歴史は比較的浅い。『オックスフォード英語辞典』によると1651 年、ウォーター・チャールトンの「自殺によって逃れることの出来ない災難から自己を救うことは罪ではない」という文が初出とされるが、他にも1662年、 1635年という説もあり、いずれにしても17世紀からが定説とされる。それ以前には自己を殺す、死を手にする、自分自身を自由にする、などの表現があったが一言でまとまってはいない。このようなブレの起こっていた説明として米国自殺学会のエドウィン・S・シュナイドマン(en:Edwin Shneidman)は「魂と来世という思想を捨て去ることが出来たとき、その時初めて、人間にとって自殺が可能になった」観念の変化が反映していると指摘する[1]。来世や魂の不死といったことを信じたとき、死は単なる終わりではなく別の形で「生き続ける」という存在の形態を移したものに過ぎなくなるからである。近現代へ至る死生観の変化には、科学技術の発展により宗教的思考が説得力を持たなくなったことが背景にある。このように自殺の問題は「死」をどう捉えるかという事と不可分の関係にあり、文化や時代によって様々な様相を呈する。


[編集] 日本語における自殺の別称
自死、自害、自決、自尽、自裁 - 手法によらない。自死については、自殺行為を反社会的行為だと責めないニュアンスが強い
首吊り、飛び降り、飛び込み、割腹、焼身、入水 - 手法による
身投げ、自刃、切腹 - 手法による
殉死、心中 - 目的や同伴者の有無による
このうち、2. は単語の後ろに「自殺」を付けることもある。

新聞・テレビ等の報道メディアにおいては自殺が使用される。


[編集] 自殺の判定
自殺は自らの意思で自らを殺そうとすることとされるが、外面上自殺に見える場合であっても必ずしも自殺と判断できない事もある。この問題が持ち上がるのは、自殺があくまで「自分の意思の結果」であるという前提があり、手法による判別ではないからである。すなわち、自身が行うことのできる行為は、他者が行いうるとも言い換えることができるわけで、死因鑑定や法医学的鑑定上、自他殺を判定する場合においては、実際の自殺死であっても、必ず「自殺で起こり得る」という範囲での判定であり、はっきり自殺と断定しているとはわけではない点が、極めて注意すべき重要な点である。

警察の捜査で自殺と断定された事件が事故または殺人事件ではないかと疑われる例は以前から存在しており、徳島自衛官変死事件のように遺族とのトラブルや訴訟となった例もある。また逆に、自殺であるにもかかわらず、警察や遺族によって事故とされている場合も存在するのではないかと言われる。突発的な自殺願望によって、遺書も書かずに電車や車に飛び込み自殺したと疑われる場合である。


なお、日本国内の自殺を取り扱った統計である「自殺の概要」(警察庁)では、解剖による鑑定後、自殺と判定された案件において、実際に遺書が残されている件は、半数以下である。

また、自傷行為はしばしば自殺未遂とされることが多いが、実際には自殺目的ではなく切ること自体の感覚を目的とする場合が少なからずある。これは、自傷が中毒症状の様になっている人に多いが、こういった場合自殺未遂とみなした場合、余計に回復が困難となる。しかし、自傷者の多くには実際に自殺願望があるうえ、自傷による事故死と自殺は非常に見分けづらいので、現在は自傷による事故死も自殺に含めてしまうことが多いとみられる。他にも、自分の健康を無視したような行動を行う人もいるが、やはり意図していないのでそれ自体は別個のものである。

以下、参考にWalsh(2005)による自傷行為と自殺未遂の判定表を挙げる。ただし双方は死への意図のあるなしではなく強弱の同一線上にある例も多いため、一種の指標として柔軟に用いるのが望ましい。自傷段階の人の場合、現世への希望をまだ諦めきっていないため、なんらか事態の改善に繋がる助けを求めている傾向があるとされる。自殺ではコミュニケーションを求める行為はほとんど見られず、またそのような心の余裕も無いことが多い

日時:2009年7月 2日 14:56