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遺品整理のメモリーズ

高齢化や核家族化、少子化が進み、
孤独死や自殺が社会問題となっている中、
遺品整理が必要とされるようになりました。
私が遺品整理という仕事についたのも、
祖母を孤独死で亡くしたことがきっかけです。
この仕事で、見積時など悲しまれている
ご遺族様に会うと、私の祖母が亡くなった事を知って、
泣きながら田舎に帰る用意をしていた母を思い出します。
当時は遺品整理の業者が無く、母は葬儀の後、しばらく田舎に残り、孤独死や自殺が社会問題となっている中、
遺品整理が必要とされるようになりました。
私が遺品整理という仕事についたのも、
祖母を孤独死で亡くしたことがきっかけです。
この仕事で、見積時など悲しまれている
ご遺族様に会うと、私の祖母が亡くなった事を知って、
泣きながら田舎に帰る用意をしていた母を思い出します。
祖母の遺品整理も行い帰って来ました。
大阪に帰ってきた時、精神的、肉体的に疲れてしまい、
しばらく寝込んでしまいました。
それから数年後、私は遺品整理に携わる事になりました。
もちろん、あの日の母のように、遺品の整理で困っている方のお役に立ちたいと
心から思ったからです。
そしてこの業務は、ご遺族様の立場で作業を行うほど、
感謝される事がわかりました。
遺品整理は事情により、どんなに自分で整理したいと思っても
自分ではどうにもできないケースが多いです。
本当は自分でしたいという思いは痛いほどわかりますので、
故人と遺族の気持ちを思いながら、誠心誠意遺品の整理をさせて頂いております。
「メモリーズ」という社名にしたのも
「故人の想い出を大切に扱いたい」という気持ちからです。
遺品整理が終了し、何もなくなった部屋を見て、
ご遺族様がよく言われる言葉があります。
それは、「これで気持ちが少し楽になりました。」という言葉です。
遺品整理の終了は、気持ちの整理の第一歩という印象を私達は持っています。
私たちが、ご遺族様の立場で作業することにより、
心から「ありがとう。」と言って頂けるように、社員一同取り組んでいます。
悲嘆されたご遺族様にどのような言葉を
かけていいのか分からず、情けなくなる事も
あります。少しでも楽になる言葉をかけて
あげられるよう、
グリーフケア・アドバイザー2級を受講しました。
「グリーフ」は“悲嘆”という意味で、
近しい人を亡くした人がその悲嘆を乗り越えようとする心の努力。
これを支援するのが「グリーフケア」です。
ご遺族様のお気持ちを察し、悲しみを乗り越えるお手伝も
できる様になりたいと思います。
かけていいのか分からず、情けなくなる事も
あります。少しでも楽になる言葉をかけて
あげられるよう、
グリーフケア・アドバイザー2級を受講しました。
「グリーフ」は“悲嘆”という意味で、
近しい人を亡くした人がその悲嘆を乗り越えようとする心の努力。
これを支援するのが「グリーフケア」です。
ご遺族様のお気持ちを察し、悲しみを乗り越えるお手伝も
できる様になりたいと思います。

私たちは遺品整理の仕事をする中で、
ゴミや不用品で埋め尽くされた部屋で
一人で亡くなってしまった事例を
多く見てきました。
孤独死を少しでも減少し、高齢者の方に
健全な生活をしてもらえるようにするには、
現実で起こっている問題を知ってもらうことが
重要だと考え、新聞やテレビなどのメディア、
また、シンポジウムなど、発言の場を
頂いた場合には積極的に参加し、
思いを伝えております。
ゴミや不用品で埋め尽くされた部屋で
一人で亡くなってしまった事例を
多く見てきました。
孤独死を少しでも減少し、高齢者の方に
健全な生活をしてもらえるようにするには、
現実で起こっている問題を知ってもらうことが
重要だと考え、新聞やテレビなどのメディア、
また、シンポジウムなど、発言の場を
頂いた場合には積極的に参加し、
思いを伝えております。
【経歴】
代表取締役 横尾 将臣
1969年3月12日 香川県生まれ
小学生の時に、一度聴いたメロディーをリコーダーで吹いていたので、
音楽の先生が驚きサックスを勧められ、趣味として始める。
高校時にラグビーで大阪選抜に選ばれる。
ラグビー推薦で本田技研鈴鹿へ入社するも怪我で退社。
東京へ上京しサックスプレイヤーとして活躍。
母の膠原病をきっかけに大阪へ戻り、営業を学ぶ。
36歳の時に遺品整理に出会い、現在に至る。

現在も音楽活動を続け、08年の全国ナイスミドル音楽祭で近畿地区で優勝。
全国大会へ出場する。

